【日本史勉強法】安土桃山時代の流れと試験対策のコツ

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公開:2023/04/18

更新:2023/04/18

戦国時代は各地で独立した大名たちが、それぞれ自国の繁栄を図り産業の育成に力を入れました。

そのため京都や大坂(大阪)などの大都市以外でも、経済活動が徐々に活発化します。

それに合わせて社会も大きく変化しました。

ここでは戦国時代後期から、安土桃山時代までの歴史的な背景と、織田信長、豊臣秀吉という天下人が行った政治について見てみましょう。

鉄砲とキリスト教の伝来

日本の戦国時代は、世界史ではヨーロッパ諸国の大航海時代にあたります。

当然日本にもその影響が及び、ポルトガルやスペインなどからの使者が信長や秀吉と会っています。

このころに初めて鉄砲が伝来したと言われています。

鉄砲に注目したのは戦国大名よりも堺商人(大阪)のほうが早く、鉄砲を国産化する技術を手に入れて、それに続き鉄砲の重要性に気づいた大名たちに販売を始めます。

これで堺には莫大な富が集積し、鉄砲は徐々に戦争のやり方を変えてゆきます。

もう1つこの時代に来日したのがキリスト教です。

イエズス会のフランシスコ=ザビエルは、1549年に鹿児島から布教を始めたと言われています。

信長は比較的キリスト教には寛容でしたが、秀吉は後年になってキリストを弾圧します。

ただし理由があっての行動だったようです。

織田信長の政治

日本史の中で、世界史でも通用する人物を挙げるとしたら織田信長かもしれません。

信長の家系は守護大名の家老(補佐役)のそのまた家老でした。

それが下剋上の時流に乗って、尾張(現在の愛知県)を手に入れると、そこからわずか20年で数多くのライバルを倒し、事実上日本を再統一してしまったのです。

信長はさまざまな改革を実行した人ですが、当時発展していた工業や商業を重視し、さらに流通と貨幣経済を重視して楽市楽座(らくいちらくざを推進、市場の規制が緩和されて自由な状態にしました。

信長の重要な拠点だった安土の街は、当時最も自由な経済都市になっていました。

この時代は都市が発展した時期でもあり、京都では富裕な商工業者は町衆(ちょうしゅう)と呼ばれ、堺では会合衆(えごうしゅう、かいごうしゅう)と呼ばれ、それぞれに地方自治を行っていました。

信長はこうした産業の担い手を重視する点でも革新的だったようです。

もう1つこの時代の特徴としては、仏教に関わる勢力が戦国大名と同レベルの権力を握っていたことが挙げられます。

天台宗の総本山だった比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)や、一向宗(浄土真宗)の総本山だった摂津の石山本願寺(いしやまほんがんじ)などは、巨大な経済力と軍事力を背景に、各地の戦国大名(特に信長)と対立しました。

信長が他国を侵略して領地を広げるごとに、信長による自由な経済活動も拡大し、日本国内では物流が活発化しました。

江戸時代にまで続く庶民の社会が確立したのもこの時期です。

信長は計画的に進めてきた天下統一を目前にしながら、1582年に配下の武将明智光秀(あけちみつひで)の謀反により世を去ったと言われています。

ただし真相は分かっていません。

豊臣秀吉の全国統一

豊臣秀吉は戦国大名ではなく、織田信長を補佐する一武将でした。

信長が本能寺の変(ほんのうじのへん)で姿を消した時には毛利氏を攻めていましたが、そこから常識外れのスピードで京都に戻り、山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀を滅ぼしてしまいます。

ただし、この時の秀吉の反応が早すぎたことと、光秀の死がはっきりと確定されていないことから、本能寺の変には隠された謎があるとも言われています。

秀吉は信長のプランを忠実に実行した人で、朝廷の権威を利用して関白(かんぱく)の職に就き、自身の根拠地を大坂城に移し、経済を重視した政治を行いました。

さらに四国と九州を平定後、唯一関東で秀吉に敵対していた北条氏を滅ぼして、1590年に日本全国の統一に成功したのです。

1493年と言われる戦国時代の始まりから、ほぼ100年目の偉業でした。

その後秀吉は戦争の停止を宣言するための惣無事令(そうぶじれい)を発し、刀狩(かたながり)を行い、統一国家として太閤検地(たいこうけんち)などの政策を実施しました。

こうして世の中は戦乱の時代から解放されて、近代日本への基盤づくりを始めます。

しかし秀吉配下の武将と、それを支える武士たちにとっては、自分たちの存在意義が疑問視される社会になってしまったのです。

秀吉は朝鮮出兵という形で、彼らのエネルギーを国外に向けます。

これが文禄の役ぶんろくのえき・1592年~)と慶長の役けいちょうのえき・1597年~)です。この2度の出兵は日本側に膨大な損失をもたらし、最後は秀吉の死によって終了しました。

テストではここがポイント!

安土桃山時代は、信長の事跡と秀吉の事跡をまとめることと、産業が発展した社会の様子をつかむことが重要です。

一向宗が宗教という枠を超えて、社会を動かしたという事実も忘れてはいけません。

またこの時代は壮大で華やかな文化が生まれ、屏風絵や障子絵が盛んに描かれ、能、茶道などが大名の間に広がりました。

まとめ

秀吉は信長の配下として働き、その壮大な計画を引き継いで全国の統一を果たしました。

しかし統一後に残された武将と武士たちの将来までは描ききれず、それが秀吉の死後に大きな戦乱を招きます。

もしも信長が生き続けていたら、どのような政治を行っていたのでしょうか。

果たして江戸時代は訪れていたのでしょうか?

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最後までお読みいただきありがとうございました。

執筆者

takeshi suzuki

学生時代より家庭教師や塾講師を経験、大学卒業後も同じく教育業界にて勤務中。
その経験を活かし、2021年よりライターとしても活動開始。
受験や試験勉強などの記事執筆を手がけている。

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