【日本史勉強法】大正時代の流れと試験対策のコツ

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公開:2023/04/18

更新:2023/04/18

大正時代は1912年から1926年までの15年間です。

短い時代区分ではありますが、明らかに明治時代とは社会の風潮が変わり、日本にも民主主義の波が打ち寄せてきます。

この時代は何と言っても第一次世界大戦が中心で、それに伴う各国の動きを整理する必要があるでしょう。

大正時代のキーポイント:前半

大正デモクラシーの「デモクラシー」とは、当時「民本主義」と訳されましたが、現代で言うところの民主主義です。

明治時代の政治は薩摩と長州の出身者によって動かされていましたが、大正時代になるとその藩閥政治に反対する機運が高まりました。

この時期には衆議院選挙もすでに行われており(第一回は1890年)、いくつかの政党も活動していましたが、大正初期にはまだ桂太郎(かつら たろう・長州出身)が総理大臣を歴任するなど、薩長出身者が政権の中枢を担っていました。

ところが1913年に第三次桂内閣が発足すると、全国各地で内閣に反対する活動が起こり、桂内閣は退陣に追い込まれます。これが大正政変(たいしょうせいへん)です。

それを引き継いだのが、明治時代の自由民権運動で知られる大隈重信(おおくま しげのぶ)でした。

大正デモクラシーは政治や社会全体に影響を及ぼし、普通選挙制度の導入を求める運動や、言論・集会の自由を求める運動、そして男女の平等を求める運動などが全国各地に広がりました。

その結果は1925年の普通選挙法の成立に見ることができます。

第一次世界大戦

日露戦争は日露講和条約(にちろこうわじょうやく)/ポーツマス条約で終了し、日本は賠償金を得られなかったものの、中国北部に進出する権利を手に入れました。

その結果国内では軍部の発言権が強まり、国民の間でも好戦的な機運が高まります。

その後大正時代に入ってからも、日本は基本的にイギリス・アメリカと協調関係にあり、ロシアとは中国北部の満州をめぐって対立関係が続いていました。

一方ヨーロッパでも、各国間での緊張が高まっていました。

ヨーロッパの国々は伝統的に仲が悪く、イギリス・ドイツ・フランスは、暇さえあれば小競り合いを繰り返していました。

ロシアとドイツも仲が悪く、イギリスとロシアはアジアでの利権争いで対立中です。

1914年にその均衡が破られ、ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟(さんごくどうめい)と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商(さんごくきょうしょう)とが衝突します。

これが世界規模での戦争に発展する第一次世界大戦です。

イギリスとロシアは、ヨーロッパ本土の状況から、やむなく手を結んだと思われます。

1つ注意してほしいのは、この時の「三国同盟」と、第二次世界大戦の「日独伊三国同盟」を、明確に区別して覚えてもらいたいことです。

この時遠く離れた島国の日本は、日英同盟の約束もあってドイツに対して宣戦布告します。

さらに東アジアにおいて、イギリスとフランスの支援活動も行いました。

戦争とは巨大な利益をもたらすもので、日本は軍需品や繊維製品などを戦地に供給することにより、国内の産業が一気に活性化しました。

この経済力でさらに軍備を増強した日本は、中華民国(中国)に対して利権の拡大を迫る二十一か条の要求(1915年)を突きつけます。

また、各国の目がヨーロッパに向いている隙を突いてロシアの領土にシベリア出兵(1918年)を決行します。

こうして明治以降、殖産興業(しょくさんこうぎょう)と富国強兵(ふこくきょうへい)にまい進した日本は、軍部が強い発言権を持ち、欧米列強と同様に帝国主義の国家になりました。

大正時代のキーポイント:後半

わずか50年前までは、東アジアで武家政権により管理されていた島国日本は、第一次世界大戦後には欧米列強が一目置くほどの国力を備えていました。

第一次世界大戦の悲惨な経験を活かすため、パリ講和会議(パリこうわかいぎ)/ヴェルサイユ条約をきっかけに国際連盟が設立され、さらにワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)が結ばれるなど、世界はワシントン体制のもとで軍縮へと向かいます。

日本では海軍の縮小や、中国に対する利権の制限を求められ、欧米に対する不満が徐々に高まってゆきました。

テストではここがポイント!

15年という短い期間だった大正時代は、日本にとって国力を蓄える時期にあたりました。

それに反して世界は目まぐるしく変化していましたが、日本も間接的に第一次世界大戦に関わっていたことは理解しておいたほうがよいでしょう。

ワシントン体制では各国の軍備にも制限が設けられ、日本はイギリスなどの圧力により、不本意な条件を受け入れざるをえませんでした。

この不満が太平洋戦争の原因の1つになったことも大きなポイントです。

まとめ

歴史には流れと必然性があります。

欧米列強が世界に進出すると、その先々で植民地などの利権をめぐって衝突が起こります。

こうした緊張状態がピークに達すると、それを一気に解放するようなエネルギーの爆発が発生するのです。

大正時代と昭和時代に起こった2つの大戦は、まさにこの大爆発でした。

結果から原因を反対にたどってみることも、歴史の流れをつかむことにつながるかもしれません。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

執筆者

takeshi suzuki

学生時代より家庭教師や塾講師を経験、大学卒業後も同じく教育業界にて勤務中。
その経験を活かし、2021年よりライターとしても活動開始。
受験や試験勉強などの記事執筆を手がけている。

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