710年の元明天皇の時代に、当時の都は現在の奈良県に位置する平城京に遷都されました。
ここからおよそ80年間の奈良時代が始まります。
この時代も日本という国家が形を整えてゆく段階であり、覚えておくべき社会の仕組みもいろいろあります。
当時の政治情勢を整理しながら、活動的な時代の流れをつかんでください。
この記事の内容
コロコロと都を変えていたこの時代
現代ではとても考えられないことですが、ヤマト政権が誕生してから平城京~平安京に落ち着くまでは、日本の首都は短期間で何度も移転していました。
飛鳥時代には天皇が造営した宮殿周辺が首都として機能したため、天皇が代わるたびに首都が移転したと言ってもいいくらいです。
飛鳥時代以降で大きな遷都が行われたルートをたどってみると、飛鳥~難波宮~飛鳥~藤原京~平城京~長岡京~平安京という具合に、わずかな期間で首都の移転が繰り返されています。
藤原京も長岡京も平城京に匹敵する規模でしたが、首都として機能したのはたったの10年程度でした。
日本史で重要な土地制度の移り変わり
律令制度が整った時期に、国内では土地制度も整備されます。
土地の所有者の移り変わりは、日本史を理解する上で非常に重要なポイントになるので、ここでしっかりと流れを整理しましょう。
日本で実質的な最初の土地制度は、大宝律令と同時期に始まった班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)です。
土地は基本的に国有地となり、それを国民に割り当てて田畑にし、その収穫から租税を納めさせていました。
しかし自分の所有地にならなかったため、国民の労働意欲の低下を招きます。
事態を打開するために、国は一部土地の所有を認めることにして、三世一身法(さんぜいっしんのほう)や墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を制定します。
ところが所有した土地を貴族や寺社に寄進して、租税負担を免れようとする国民が増え、税制度が危機的状況になりました。
寄進された土地は貴族や寺社の荘園(しょうえん)として巨大化し、それが天皇家の権力を弱めて貴族政治を招くことになります。
さらに荘園を守るために配置された軍事担当者が、やがて貴族政治を終わらせて武士の政治を始めるのです。
今後土地制度の詳細は、それぞれの時代ごとに紹介します。
奈良時代の政治的な流れ
奈良時代は平城京を首都に定め、各地方には現在の県庁にあたる国府(こくふ)を置き、そこに中央から国司(こくし、くにのつかさ)が派遣されていました。
このころ有名な租庸調(そようちょう)の税制が確立し、租(米)庸(布)調(特産品)などの税収と、雑徭(ぞうよう)と呼ばれる労役により中央と地方の経済が成り立っていました。
また都の一部では富本銭(ふほんせん)や和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)などの通貨も使われていたようです。
平城京遷都の直後は、まだ藤原不比等(ふじわら の ふひと)が権力を握っていましたが、彼が亡くなると、またお決まりの権力闘争の始まりです。
まずは彼の子たち藤原四兄弟と、皇族である長屋王(ながやおう、ながやのおおきみ)との間で争いがあり、敗れた長屋王は自殺に追い込まれます。
しかしその後を追うように、藤原四兄弟は次々と病死してしまいました。
その後権力は皇族出身の橘諸兄(たちばなのもろえ)から、藤原仲麻呂(恵美押勝)(ふじわら の なかまろ、えみのおしかつ)に移り、ここで僧でもあった道鏡(どうきょう)が登場します。
このように奈良時代もまた、皇族と貴族とが入り乱れて権力争いをする不安定な政治が続きました。
仏教の広がりと天平文化
奈良時代と仏教は切り離せない関係にあり、聖武天皇(しょうむてんのう)による大仏造営と国分寺・国分尼寺の建立はあまりにも有名です。
特に全国各地に建立された国分寺・国分尼寺は、当時最先端の学問を発信する重要な拠点でもありました。
当時の仏教はインド~中国からもたらされた新しい学問であり、それを広める僧たちは一種の学者であり科学者でもありました。
その代表としてこの時代には、唐から高僧の鑑真(がんじん)が日本にやってきています。
さらに当時の天平文化(てんぴょうぶんか)も、唐の影響を強く受けた貴族文化でした。
万葉集、古事記、日本書紀の編纂もこの時代と言われ、各地方では風土記(ふどき)も編纂されました。
テストではここがポイント!
この時代は中央の政治構造と、地方社会が整備される仕組みをまとめておくとよいでしょう。
特に租税の種類、土地制度の仕組みについては細かい点まで整理して覚えてください。
また、当時世界一の超大国となっていた唐は、律令制度や文化の面で日本の手本になっています。
資料集などを使って、当時の中国と朝鮮の様子をイメージしておきましょう。
時代区分ごとに、日本周辺の国々がどのように変化したか、地図ごと覚えておくと役に立ちます。
まとめ
奈良時代は天皇中心の政治から、貴族政治に移り変わる転換期にあたります。
政治機構も整って、はるか現代まで続く大蔵省や宮内省などもこの時代に生まれました。
また古文に登場する太政大臣や大納言も、この時代から貴族の地位を表すようになりました。
一説によると、当時は「たたり」や「呪い」が信じられていて、藤原四兄弟が次々に謎の死をとげたのは、長屋王のたたりだったと信じられていたそうです。
そのたたりから都を守るために造られたのが東大寺の大仏だというのですが、真実はどうだったのでしょうか?
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