【世界史勉強法】近代ヨーロッパ史の流れと試験対策のコツ

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公開:2023/04/13

更新:2024/02/08

近代ヨーロッパはフランス革命から、20世紀終わりのソ連解体や、東西ドイツの統一までとする考え方が一般的です。

しかしここでは少し区分を変えて、第一次世界大戦の終結までを「近代」として、第二次世界大戦を含めたその後の流れを「現代」として扱います。

そのほうが歴史の流れを整理しやすいと思い区分を変えますが、あくまでも便宜上のことなので注意してください。

産業革命の広がり

産業革命とは、人や家畜による動力に代わって、石炭を使った内燃機関が社会の大転換を生み出した事件です。

その始まりは、18世紀の中頃というはっきりしない言い方をされることが多く、それから数十年かけてイギリスからヨーロッパ諸国、そしてアメリカに広がりました。

それまでは燃やして暖をとる程度の役割だった石炭が、動力を生み出すエネルギーとして見直され、最初は綿織物工場の動力として、さらに蒸気機関車蒸気船の動力にも使われるようになり、ヨーロッパとそれ以外の地域との国力に大きなギャップが生まれました。

英雄ナポレオンの時代

30年戦争で神聖ローマ帝国が弱体化すると、ヨーロッパの覇権はフランス王国の手に握られます。

ここで登場するのが、ヨーロッパ史最大のヒーローであるナポレオン・ボナパルトです。

フランス革命時の国内は大混乱に陥り、まず第一共和政(1792年)がスタート、直後にジャコバン派のロベスピエールが恐怖政治を行うものの、クーデタが起こり総裁政府が誕生します(1795年)。

最終的には、1799年にナポレオンが総裁政府を倒し、ここから彼の活躍が始まりました。

それ以降は、ナポレオンによって帝国化するフランスと、それを阻止しようとするイギリス及び周辺諸国との対立が続きます。

イギリス・プロイセン(ドイツ)・オーストリア・スペインなどは、数次にわたって対仏大同盟を結びナポレオンに圧力を加えます。

これに対してナポレオンは、各国を個別に打ち破ったり、今度は和約や同盟を結んだりしながら、その領土を旧フランク王国に近い規模にまで拡大します。

さらに1804年にはフランス皇帝に即位し、ナポレオンのもとでフランスは全盛期を迎えます。

ナポレオンの没落は、1812年のロシア遠征での敗北から始まりました。

1814年には対仏大同盟によってパリが陥落し、ナポレオンはエルバ島に流されました。

その後フランスに舞い戻り、再び皇帝の座に返り咲きましたが、1815年のワーテルローの戦いでイギリス連合軍に敗れ、それ以後再び歴史に登場することはありませんでした。

ウィーン体制下のヨーロッパ

ナポレオンの統治からの脱却を目指して、ヨーロッパ諸国が協議した上で、ほぼフランス革命以前の状態に各国の国境を戻すことが決められました。

この国際秩序をウィーン体制と呼びます。

ウィーン体制下では、フランス・スペイン・ポルトガルなどで旧王朝が復活し、ドイツではプロイセンが中心となるドイツ連邦が誕生しました。

このうちプロイセン・ロシア・オーストリア・イギリスが四国同盟を結び、体制の中心的存在になりました。

ウィーン体制は復古主義的な性格を帯びていて、自由主義や国民主義を弾圧する反動政治が行われました。

やがてこの体制に対する反動が、ヨーロッパ各地で革命にまで発展します。

独立の時代

ウィーン体制の崩壊は、まずスペインとポルトガル本国の混乱に乗じた、メキシコ・ブラジル・ペルーなどの中南米諸国の独立から始まりました。

ギリシアはオスマン・トルコから独立し(1829年)、イギリスは四国同盟を脱退。

フランス・ドイツ・ベルギーなども騒乱状態になりました。

その後も自由を求める動きは治まらず、1848年のフランス二月革命を機に、革命の嵐がヨーロッパ全土に広がり、ここでウィーン体制は完全に崩壊しました。

これを諸国民の春と言います。

最初の世界大戦

ウィーン体制後のヨーロッパは、帝国主義へと流れを変えます。

フランスに代わって中心になるのが、依然として連邦体制のドイツです。

ドイツの中軸をなすプロイセン王国は、宰相ビスマルクのもと国力を高め、デンマーク、オーストリアを次々に破ります。

1870年の普仏戦争ではフランスに勝利し、翌年ドイツ帝国が誕生します。

このドイツの拡大に対して、周辺諸国が手を結んで対抗する流れは、ちょうどナポレオン統治下のフランスと、その周辺国との関係に似ています。

これがヨーロッパにおける国家関係の原則なのかもしれません。

1882年には、ドイツ・オーストリア・イタリア三国同盟を結び、フランス・イギリスへの対抗姿勢を強めます。

この時期は各国の植民地でも利益をめぐる争いがあり、ヨーロッパの列強は時には反発し、時には手を結ぶという二面外交を行っていました。

やがてイギリス・フランス・ロシアが歩み寄り、三国協商が成立します(1904年)。

1905年には、ロシアで第一革命も起こっています。

こうして三国同盟と三国協商との間で緊張感が高まり、1914年のサラエボ事件を契機に第一次世界大戦が始まります。

大戦中にはロシアで二月革命十月革命(ともに1917年)が起こり、ソビエト社会主義共和国連邦が成立しますが、アメリカが参戦したことで、1918年にドイツが降伏し大戦は終結しました。

翌年のヴェルサイユ条約によって、戦後ヨーロッパの体制が確定し、さらに1920年には国際連盟が発足して、世界は平和を取り戻したように見えました。

テストではここがポイント!

近代ヨーロッパは、それぞれの国が国家として確立し、そのエネルギーを外側に向けて発散する時代でした。

ここでは、数十年単位に区切って、その時期に中心になっている国や国家連合を整理するとよいでしょう。

また、戦争が非常に多い時代でもあったので、主要な戦争と戦った国などをまとめた上で、なぜその戦争が起きたのかという原因を考えてみてください。

まとめ

ヨーロッパでは伝統的に、ドイツ・フランス・イギリスが何かにつけて争ってきました。

しかも、どれか1国が大きくなろうとすると、ほかが手を組んでそれを潰すというルールがあるようです。

ナポレオンのフランス帝国と、その後のドイツ帝国が同じような歩みを見せるのも、歴史の奇妙さかもしれません。

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執筆者

takeshi suzuki

学生時代より家庭教師や塾講師を経験、大学卒業後も同じく教育業界にて勤務中。
その経験を活かし、2021年よりライターとしても活動開始。
受験や試験勉強などの記事執筆を手がけている。

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